最近、母がボーッとしているのを見るのが嫌でたまらない。
81歳だし、ある程度は仕方がないのかもしれない。でも、自分から体を動かしたり、頭の体操をしたりすることはほとんどない。
私が「これやって」「あれやって」と言えばやる。でも、いちいち言わなければならないことに、だんだんイライラしてくる。
言い方がきつくなる自分も嫌だし、きつく言うのが嫌で無言で指図するのも嫌。
本当は、お互いにできることは自分でやって、できないところだけ助け合いながら、もっとのんびり暮らせたらいいと思っている。
でも、現実はなかなかそうならない。
私の言い方に母も言い返してくる時がある。
その後の無言の空気が、たまらなくしんどい。
毎週行くことになった脳トレ教室の2回目。
母は「自分で行ける」と言うので、私は少し後ろをついて行った。
教室は建物の2階。一度来たことがある場所だけど、覚えていない様子。入口を入ったところでキョロキョロしている。
エレベーターに乗って2階に行く事を伝え、上がるのを見届けた。
「終わったら表側の出入口のベンチにいるからね」と伝える、ピンと来てない。「前にアイスコーヒーとおやつ食べたベンチだよ」なんとなく伝わった感じ。私は別の用事を済ませる為に外に出た。
時間になりベンチで待つにも、ここが分かるか心配になる。反対側に行ってしまったら見失ってしまう。
結局、エレベーター前で降りてくるところを遠くから見ていた。
少し迷っていたけれど、しばらく見ていると待ち合わせ場所のほうへ進んでいった。
ちゃんとできたこともある。
それでも、見ている私は不安になる。
翌日も、私の態度は最悪だった。
やることはやる。でも、態度が良くない。
そんな自分も嫌になる。
夕飯の買い物も、一人で行こうか迷った。
でも、母を外に連れ出さなきゃいけないような気がして、結局「一緒に行く?」と誘った。
嫌々歩いている母を見るのもうんざりする。
やりたいことがないのも、買いたい物がないのも分かっている。
それでも、何をするにも私がきっかけを作らなければならないことに、だんだん疲れてきた。
食材を買いにスーパーへ向かう車の中で「お母さんは自分勝手だよね、言われるままに時間を消費して私の事は考えていない」。それから車内は無言。
スーパーの駐車場に着き、車をバックしていると「ここで降りて歩いて帰る!」って、ここどこだと思ってるの?〇〇でしょ!(場所の認識は合ってる)にしても結構急な坂道を2回昇り降りするし距離もある。
「ここから歩いて帰れるわけないじゃん!」
「私は目的がないと動けない性格なんだよ!だからここで降りれば無理矢理でも歩かざる得ない!」と言った。
そう言う考え方ね、ある意味納得するも歩かせるわけには行かないからスーパーに向かわせる。
その日は日差しが強かった。
母は帽子もかぶっていない。飲み物も持っていない。携帯もない。杖だって置いてきている。
なんだよ、その考えなしの行動力(泣)
店内では別行動。
先に買い物を終えて出てしまっていたらどうしようと思ったけれど、私が買い物を終えた頃に母が顔を見せた。
一緒に車へ戻った。
車の中で、最初に話しかけたのは私だった。
「ニラが214円もするんだよ!買ってきたけど」
そんな話から、いつもの会話に戻った。
そのあと、
「ここから歩いて帰るって、私が若い時でも30分くらいかかってたよ。坂を2つ越えるんだから、お母さん無理だよ。歩いて帰ってたら夕飯の時間までに帰れなかったよ」
と話した。
母も納得したようだった。
家に帰れば、夕飯を作って、またいつものルーティンが始まる。
こういう毎日を、私はどうしていけばいいんだろう。
母は「自分でできる」と言う。
でも、普段の様子を見ていると、私はその言葉をそのまま信用することができない。
私が連れ出せば出かける。
私が声をかければやる。
私が何もしなかったら、どうなるんだろう。
そんなことを考えているのは、どうも私ばかりのような気がする。
母は、結局私が何とかしてくれると思っているんじゃないか。
そう思うと、腹が立つ。
そして、そんなふうに思う自分にも嫌気がさす。
お互いにできることをやって、必要なところだけ助け合って、もう少し普通に、のんびり暮らしたい。
ただ、それだけなのに。
今日も私は、やることはやった。
夕飯も作った。
母のことも気にかけた。
それでも、態度は良くなかった。
優しくできない自分が嫌になる。
でも、母だけがしんどいわけじゃない。
私もしんどい。
母が私の知ってる母じゃなくなってくのがしんどい。
🐼 丸のひとこと:「しんどい」と書けた日は、自分の気持ちにちゃんと気づけた日。優しくできない日があっても、やることはやってる。

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