昨日は平和な一日だったはずなのに、ちょっと気を抜いたばかりに、思いがけないことで気持ちが一変してしまった。
見たいテレビ番組があり、つい夢中になってしまった。毎週とかではない、いつもは母の事を優先している。母のお風呂の時間が少し遅くなっていることは気になっていたけれど、少しくらいなら待っていてくれるだろうと思っていた。
ところが、甘かった。
母は私を待たずに、一人でお風呂に入ってしまったのだ。
私が気づいたときには、まだ入ったばかりだったようだ。大きな事故になったわけではない。それでも、私は腹が立った。
母が圧迫骨折で入院し、退院してきたとき、私は母に三つの約束をしてもらった。
一つ目、二階には上がらないこと。
二つ目、お風呂には一人で入らないこと。
三つ目、食事のことは必ず相談すること。
最低限、これだけは守ってほしい。守れないのであれば、私も母の通院などの世話はできない。そう伝えて、忘れないように冷蔵庫の横にも貼っておいた。
最初の二つは、安全のためだ。
以前、階段から滑り落ちたことがある。お風呂から出たところで転倒し、入院したこともある。
そして三つ目は食事のこと。
私がまだ仕事をしていたころ、日中一人になる母は、私に隠れて買い食いをすることがあった。毎日のように言い合いになり、私もずいぶん疲弊した。
食べたいものがあるなら、最初から相談してくれればいい。食事制限の範囲内で、どうにか工夫することだってできる。
それなのに、私が用意した食事に、さらに自分で買ってきたものを足して食べてしまう。血液検査の結果もなかなか良くならず、食事を管理する私の精神的な負担も大きかった。
そんな経緯があって、これだけは守ってほしいとお願いした三つの約束なのだ。
お風呂については、毎回私が介助している。
正直なところ、母は一人でも入れるのかもしれない。けれど、もし次に転倒して大きなけがをしたら、今度こそ歩けなくなってしまうかもしれない。
そう考えると、どうしても慎重になる。
退院してから、母の体力も少しずつ戻ってきた。自分でできることが増えれば、自分一人でも大丈夫だという気持ちになるのだろう。
でも、こちらからすれば、その自信が危なっかしい。
これまでのけがだって、本人は大丈夫だと思っていたのかもしれない。自分ではできると思っていても、実際に何かあってからでは遅いのだ。
もちろん、今回は私にも反省するところがある。
いつもの時間を過ぎても、私がお風呂に入れる段取りをしなかった。少し予定が狂ってしまったのは事実だ。
でも、だからといって、勝手に一人で入っていいという話にはならないと思う。
待てないのであれば、呼んでくれればよかった。母は大きな声を出せるのだから。
それなのに、母は何も言わず、一人で入ってしまった。
母の言い分は「悪いと思って気を遣った」だった。
私は、この言葉を聞くたびに強く言ってしまう。
気を遣って一人でお風呂に入り、そこで転んだらどうするのか。結局、病院に連れて行ったり、その後の世話をしたりするのは私なのだ。
母は、自分が何かをした結果、私の負担がどれほど増えるのか、いまだに十分理解していないのではないか。
そう思うと、愕然とする。
私はいつも、見たいテレビ番組があるときは早めにお風呂を済ませたり、録画してあとから見たりしていた。
でも、録画ではなく、その時間にリアルタイムで見たい番組だってある。
今回は私の段取りが悪かった。それは認める。
だけど、だからといって、守ってほしいとお願いしていた約束を破られることまで受け入れるつもりはない。
もし母の意識が何も変わっていないのなら、私がまた働きに出て、日中家を空けるようになったとき、同じことが繰り返されるのではないか。
それが怖い。
私が家にいない時間に、母が自分の判断で危ないことをしてしまう。何かあれば、結局こちらが対応することになる。
私は母のために、できることをしているつもりだ。
だからこそ、最低限の約束くらいは守ってほしい。
何でもかんでも母の思いどおりにするわけにはいかないし、私がすべてを我慢して受け入れるわけにもいかない。
ここだけは譲れない。
私の気持ちが持たなくなってしまうから。
そして今朝。
朝食は用意した。薬も出した。
でも、いつものラジオ体操には付き合わなかった。脳トレの宿題にも付き合わなかった。
自分でやればいい。
今までは、母ができるだけ困らないように、私が先回りしていろいろなことをしてきた。
けれど、何かあれば私が困ることになるのに、こちらの気持ちや負担が伝わらないのなら、私だって今までどおりにはできない。
母のためにできることと、母の代わりにすべてを背負うことは違う。
私は私の生活も守らなければならない。
今回ばかりは、絶対に譲らない。


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