「おいしい」のは買って来たもの

今日は眼科の日。左眼への注射だった。
眼科の駐車場は5台分しかない。空いていればラッキーだけど、今日は満車。「あぁ、いっぱいか…」と少しがっかりしながら、近くの有料駐車場へ向かった。
毎週通っているので受付はもう慣れたもの。手際よく済ませて待合室へ。
なんとなく、右眼の時より待ち時間が長く感じた。実際にはそれほど変わらなかったのかもしれない。有料駐車場に停めていたので、時間が気になっていたからだろう。
前回は注射の時に外した補聴器を忘れ、取りに戻ることになった。今回はその反省を生かして、治療室へ入る前に両耳をチェック。戻ってきた時ももう一度確認した。
母も前回のことを覚えていたようで、今回は看護師さんに預けず、自分で持っていたらしい。小さなことだけど、お互いに学習している。
会計も済ませ、さっと帰宅。
家に着くとすぐ食事の支度。病院で待っている間に昼食と夕食の献立を考えていた。アプリで栄養計算をして記録するのも、すっかり日課になった。今はAIにもいろいろ聞けるので、栄養計算の負担もずいぶん減った。
母のお昼は焼きうどん。カロリーはしっかり確保しながら、たんぱく質と塩分は控えめに。
昼食が遅くなったので薬局には寄らずに帰ってきたけれど、今夜から使う点眼薬を受け取りに行かなければならない。
車なら楽。でも、自転車なら5分。少し迷った末に、節約も兼ねて自転車で行くことにした。
薬局の帰りにはスーパーへ寄り、母の好きなコーヒーゼリーを買った。
以前は家で手作りしていたけれど、最近は作る気にならない。
毎日の食事は、食材を一つひとつ量り、野菜は茹でこぼし、栄養を考えながら色どりにも気を配る。手間はかかるけれど、母は無言で食べる。美味しいとも不味いとも言わない。
ところが、買ってきたコーヒーゼリーを食べると「おいしい」と子どものように喜ぶ。
マグロのたたきもそう。パックを開けて盛り付けただけなのに、「おいしい」と食が進む。
もちろん、母に悪気はない。それは分かっている。
でも、時間をかけて考え、手間をかけて作った料理には何も言わず、買ってきたものだけを褒められると、やる気が失せる。
そんな日々が始まって、もう半年になる。
母はきっと、この言葉で私がどれだけ傷つくか知らないし、たぶんこれからも分からない。
だったら私が少しずつ受け止め方を変えていくしかないのかもしれない。
期待しなければ、傷つくことも減る。
そう思えるようになったのは、少しだけ私が慣れてきたということなのだろうか。

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